
92年の暮れからアウディTT3.2に乗り換える2004年の秋までは2台の空冷ポルシェ、通称964カレラに乗りましたけれど、その2台ともにMTだったのは私にはあたりまえ。
当時の中古市場でも、ATよりもMTが主流だったと思います。
2台で通算16万キロ走りましたけれど、ブレーキペダルが床から生えているレイアウトの中でヒールアンドトゥをキメるのに必死。
コツはいくつかあるんですけどw、一番は履き物です(爆)。フラットなソールのドライビングシューズやスニーカーは❌。ヒールのついたコインローファー系が絶好です。
それもデッキシューズのような薄目でビミョーなヒール(形状)がついてるのが一番かもしれません。空冷911ではペダルの高さにもよるのですが、あのレイアウトですからフルレザーのソール+ヒール高めのものがおすすめです。グキッとならずに済みますよw。
JM WESTON のシグニチャーローファーサイコーw。
だって、これやれないとトーゲでシビックとかランエボにかまされるんですよw。ポルシェなのにそれわ、ってなるぢゃないっすかw。
必死で練習して、右足つりそうになりながらも、バシューンと決まるようになったのわよいのですが、あまりにもヘタ過ぎてフライホイールマスダンパーと呼ばれるゴムで変位を吸収するパーツがきっちり5万キロに1回ちぎれるというトラブルに見舞われました(爆)。
というのは冗談ですが、5万キロに1回ちぎれるのは事実です。クラッチの対面側に位置するフライホイール内部の緩衝材として使われるダンパー内部、つまりシフトのたびに回転しながらショックを吸収しなけりゃならないパーツのゴムダンパーの耐久性に問題があるというわけですね。
ミッションの開発にも携わっていたという北海道のU教授によれば、3→2のシフトダウンではトルク変動が大きいのでシフトダウンの際、高回転でクラッチを繋げるのではなく、なるべく回転を落としてからエンゲージするように、との課題を出されて悩んだのもつい昨日のことのようw。
結局、このフライホイールマスダンパー自体が964シリーズの最終年式93年ではゴムのよじれを利用する緩衝ではなく、スプリングによる変位による緩衝へと改良されてしまいました(爆)。理由はもちろん、みんなちぎれたからですよ(爆)。ヘタレが乗っていた、というのも理由でしょうがw、熱を持ってるうえに無数の回転ショックでもって攻撃されるわけですから、ゴムのよじれってんじゃ役不足というのは容易に想像できます。
ちなみに改良型のスプリングの変位角は270度にも達したそうです(ポールフレール著/ポルシェ911ストーリー)。ヘタレの運転が想定されたのでしょう。
ポルシェはこの種の改変をこっそりおこないます。年次改良という美名のもとにこっそりと、です。大枚はたいて直してみたら、改良されたパーツが装着されてきたなんてことがザラ。
現在でも市場では1000万円を下ることのない空冷964シリーズですが、このような爆弾を複数抱えているのは常識です。このダンパーを嫌って、そもそもダンパーが存在しなかったRS用のクラッチが組まれていたりする個体も多いのですが、そっちはそっちで発進すらままならない始末となって手に負えなくなるんですよw。
理想としてはネガの少ない最終の93年型を狙う、というのがありますが、まあムリ。その後、現行モデルに至ってもこのマスダンパーは搭載されておりますが、スプリング変位なのは当然です。
964のネガは他にも枚挙にいとまがありませんが、ご興味おありの方は調べてみてくださいね。コワーイ話がたくさんありすぎて、きっとびっくりしますからw。
でもね、こんな話、後日談だから、こんなふうに笑っていられるんです。
当時はすべてドライバーのせい。アンタが下手で乱暴な運転するからクルマがこうなっちゃうんぢゃないか、といってたぶん責められていたと思います。
クラッチ切れる前にシフトしてんだろう、とか繋がる前にクラッチペダル戻してるんだろう、とかさ、やるわけねーじゃんw。
これらの事実はほぼ20年経ってから、バイヤーズガイド的な本や雑誌の記事に書かれているのを読んではじめて知らされるわけ。ふと記事を目にした深夜のベッドの中や電車の中で「なんだって〜」となって悔しがるのがこの世界です。
連綿と続いて、60年を超えた911シリーズの歴史てのは、こういう歴史です。
シリーズが終わって10年は経過しないと、全容が見えてこないというのはこのような理由からです。

さて、かような爆弾の存在を身銭切って知ってしまったが最後、大枚はたき続けて維持なんてできるわけがございませんw。
マスダンパートラブルは1台目のカブリオレで2回、2台目のカレ4クーペで1回。それぞれ高速道路上でお不動さんになってからはさすがの私も諦めモードです。愛想が尽きた、というやつ。クラッチ踏むたびにイヤーな気持ちになるw。
それでも修理だけはして、半年ほどはビクビクしながらも乗って、北海道のU教授に売却いたしました。MTにコンプレックスを抱いたわけではないですが、それでも悩みました〜、当時。
え、うちの964そんなことないし、と思っておられるそこのあなた。クラッチ踏んだ瞬間、前兆なくお不動になるかも。また、過去に乗った964、いい思い出しかないしという方は本当に幸運、というかたまたまだと思います。
私、いまでもMT964の試乗だけはしないようにしています。一般道路でも3→2のシフトダウンてあるでしょ?「ぜったいに」中ブカシとかいれないもん(爆)。
このマスダンパー交換ですが、フライホイールと一体になったパーツで単体で21万円(当時)。エンジンを下ろして、反対側のクラッチも交換という始末になれば工賃込みきっちり60万円はかかる重整備です。それがドライビングスキルとは別のところで、5万キロに1度必要になると聞けば誰でも考えますよね〜。

そんななか、あのフェルディナントピエヒがポルシェ社内での社長争いから外されてアウディに追放された腹いせにリリースしたといわれるアウディTT3.2に走ったのでした。これがツインクラッチとの出会い。当時のTTは1.8のシングルターボが標準で、モデル末期。
ショーカーそのものの内外装スタイルを市販車に落とし込んだ未来的なクーペに夢のようなミッションが積まれて、ということになれば買わない理由がないです。
次号に続く